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東京高等裁判所 昭和48年(行コ)63号 判決

横浜市鶴見区下末吉町五丁目八番三五号

控訴人

久保寺徳次

横浜市鶴見区鶴見町一、〇七一番地

被控訴人

鶴見税務署長

右指定代理人

坂本由紀子

小川修

吉田和夫

清水定穂

中村宏一

右当事者間の裁決取消控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三九年一月二九日付をもつて控訴人の昭和三五年分、昭和三六年分および昭和三七年分の所得税についてした各決定(裁決および更正処分により減額されたもの)を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、左記に付加するほかは、原判決の事実摘示のとおりである。

(控訴人の付加陳述)

一、原審は、乙第一号証の二につき、事実誤認をおかしている。

乙第一号証の二(明細書)の作成の経緯は次のとおりである。

本件裁決は、昭和三九年一月二九日なされ、その翌日控訴人に告知されたが、控訴人は右裁決に全部不服で、同年二月二六日付を以つて異議申立をなした。その結果、被控訴人は右事件を東京国税局不服審判所横浜支部(以下「横浜支部」という。)に移送し、一方、控訴人に対し同年三月三〇日付を以つて異議申立の資料を提出するよう催告してきた。

一方、控訴人は横浜支所より事情説明のため出頭を命ぜられたので、川崎猛雄(以下「川崎」という。)を出頭せしめたところ、右事件記録中に控訴人と横浜信用金庫末吉町支店との間の当座取引の勘定元帳(以下「元帳」という。)の写しが添付されていたので、参考資料として川崎はこれを写して帰つて来た。控訴人は、税務コンサルタントと称する深町輝明(以下「深町」という。)に右元帳の写と、控訴人が元来所持している甲第一号証の一乃至七、甲第二号証の一乃至七、甲第三号証の一乃至六、甲第六、七、八号証の各一、二、および乙第二八号証の借用書の各原本を交付し、之を参考資料として異議申立の理由書の作成を依頼した。

しかるに深町は、川崎が謄写してきた右元帳写の金額欄にいいかげんな数字と借主の氏名を勝手に記入し、之を基礎として乙第一号証の二の明細書を作成した上、控訴人に捺印せしめ、これを横浜支所に提出したのである。

したがつて、右明細書の記載は、深町が勝手な想像による金額、借主等を記入したもので、所謂架空の記載であり、何等信性も証明力もないものであるにも拘らず、これを採証の資料とした原審の認定は事実誤認といわなければならない。以下、個別的に述べると、次のとおりである。

(一)  東洋鉄工について

控訴人が東洋鉄工に対する従来の小口貸付債権をまとめて昭和三六年八月一七日一五〇万円と一〇〇万円の二口を貸付けたことにし、これを更に昭和三七年一月一四日公正証書に作成したところ、被控訴人は昭和三五年一月一日当時貸付繰越残高二五〇万円が存在していたと主張するが、甲第九号証および証人松葉清の証言によると、当時二五〇万円の債権がなかつたことは明らかである。

さらに、明細書(一六頁)には、昭和三五年一〇月三日中に六回に亘り合計三六万円を貸付けたと記載され、原判決は同日一回に三六万円を貸付けたと認定し、また、同年同月一四日に東洋鉄工が三二万円を借りて同日二二万八、〇〇〇円を弁済した旨認定しているが、借主がかような借用金につき同日直ちにその大部分を返済するが如きことはあり得ない。

また、乙第一号証の二のうち(2)表と(16)表とは合致しない。これを甲第三号証の一、二等と対照すれば、乙第一号証の二は深町の創作であることが明らかである。東洋鉄工の約束手形不渡後(倒産会社に金融業たる控訴人が金融をする筈がないのに)、昭和三七年一月二七日五万円、同年二月一五日五〇万円、同月一九日二万円を各貸与し、会社倒産後に入金する筈がないのに入金が六八万二、〇〇〇円となつている。

(二)  金子馨について

控訴人は同人に対し、昭和三七年九月一八日、一五万円を貸付けて甲第三号証の四を作成し、又、その支払確保のため甲第四、五号証の約束手形を受け取つたが、不渡となつたので、同年一二月二〇日、甲第三号証の四の公正証書に基いて強制執行した。しかるに、乙第一号証の二のNo.13の記載によれば昭和三六年度において貸金したことになつている。

(三)  安藤茂男(成男)について

控訴人は、同人を見たこともなく取引した事実もない。明細書No.12には茂男とも成男とも区別していない記載があり、控訴人が取引した相手方の特定の記載すらない明細書は信用できない。

また、甲第二号証の一によれば、昭和三六年七月六日二二万円を貸与し、百日間の日賦弁済を約したが、その履行をしないので、同年一二月強制執行をし、昭和三七年六月五日にその配当金八、五七〇円の内入を得たことが認められるが、乙第一号証の二のNo.12によれば右事実の記載は全くない。これに反し、昭和三五年一二月二五日から貸借のあつた如く、また配当金受領後も数回に亘る貸借のあつたように創作されているが、事実に反する。

(四)  興亜建築(田中伝次)について

乙第三四号証のとおり控訴人は田中に金を貸したが、田中は間もなく逃亡し、控訴人はその弁済を受けていない。

しかるに、乙第一号証の二によれば、昭和三六年六月五日から度々取引し、三七年度には二七万円の入金があつた旨記載されているのに、右貸借については何らの証拠もない。

また、右明細書に五万円と記載せられているが、乙第三四号証には一五万円の貸付金となつており、控訴人は田中に対して一五万円を一回のみ貸与したのみであるのに、右明細書には何回も取引した如く記載されている。

(五)  西川ペイント(西川貞雄)について

横浜地方裁判所に係属中の貸金請求事件の請求金額(乙第二八、二九号証参照)と、乙第一号証の二の金額と、原判決添付の別表三の一八の金額とを比較対照すれば、著しい相違があり、これは本件明細書が信用できないことを示すものというべきである。

ことに、乙第一号証の二のNo.3をみると、その数字の誤りは明白である。即ち、乙第二八号証の二、三によれば貸付は昭和三六年度中計四回合計三五万円、昭和三七年度は十一回合計一六七万五、〇〇〇円であるが、乙第一号証の二の記載中これと合致するのは只一件のみである。

また、原判決別表三の一八には、昭和三七年一一月一五日四〇万七、〇〇〇円と八万七、〇〇〇円の二口の貸付、同日さらに八万七、六〇〇円と一二万円の二口に分けた弁済があるが、控訴人の業務上かかることはあり得べからざることであつて、結局、右明細書は信用できない。

次に、原判決は、昭和三六年度は一三三万四、〇〇〇円とある乙第一号証の二を基礎としながら、原判決理由の別表三の(18)には一五五万四、〇〇〇円と増加され、その差額二二万円の根拠は不明であり、乙第一号証の二によれば、昭和三七年度は三〇五万二、〇〇〇円とあるが、原判決によれば三六一万九、〇〇〇円と増加され、この差額五六万七、〇〇〇円の根拠も亦不明である。

(六)  中川義昭について。

控訴人は同人に対し甲第二号証の七のとおり昭和三五年一二月九日一二万円を一〇〇日間で日賦弁済することを約して貸与したが、同人は約一〇日後に逃亡した。しかるに乙第一号証の二のNo.11によれば、昭和三八年二月九日一〇万円を貸与し、同年四月二三日一〇万八、〇〇〇円の弁済を受けたとあるのは、事実に反する。

(七)  乙第一号証の二を基礎とした結果、原判決は理由第二の三の(2)において、左の通り虚無人との貸借があつたと認定していることになる。

(1) 安藤茂男は安藤成男をまねた虚無人であつて、控訴人が同人と取引したことはない。

(18) 大営建設とあるが、虚無法人である。

(19) 米屋も虚無人である。

(25) 佐藤は虚無人で多分〈22〉の佐藤三郎又は〈24〉の佐藤弘行をまねた創作である。

(28) 酒井も虚無人で、〈27〉の酒井勝次をまねた創作である。

(31) 田中茂男も虚無人で、田中伝次に似せた記載と思われる。

(32) 田沼吉男は武甲工業の代表取締役で、控訴人は武甲工業に貸与したことはあるが、田沼個人に貸与したことはないから、事実に反する。

(38) 中川も虚無人で、〈37〉の中川義明に似せたものであろう。

(51) 幹も虚無人で、沢田幹之助を似せたものと思う。

(八)  結論

以上のとおり、深町は、元帳写に合致するように架空事実を記載し、甲号証と乙第二八号証を何ら参考とせず、元帳写たる甲第一七号証に虚無の借主を記入し、之を基礎として乙第一号証の二を作成したものであるから、結局、本件明細書(乙第一号証の二)は深町の創作である。控訴人は、乙第一号証の二が当時専門家により作られたものであり、異議理由書提出期日も迫つていたので、その内容を検討することなく捺印の上被控訴人に提出したのである。かような次第であるから、なんら正当性を裏付ける客観性がないのに乙第一号証の二を真実に合致するものと認定した原判決には事実誤認がある。

二、原判決理由第二の内、左記の利息収入については当事者間に争ないと記載されているが、控訴人は之を当初より否認している。もし、控訴人が原審に於て之を自白したとすれば、上述の如く乙第一号証の二そのものに争いのあるものであつて、これは事実に反し、かつ、控訴人の錯誤であるから右自白は取消す。

(利息収入)

〈省略〉

〈省略〉

三、貸倒れについて、

原判決は、旧所得税法によれば契約上の利息債権であつても弁済期を基準としてその年度の収入とみると判示している。

なるほど、大資本を有する大会社等の場合にはその納税も可能であり、後日右利息債権が取立不能となつたときこれを貸倒と記載し、既に支払つた所得税の反還が認められて結局利息の所得はなかつたことになるから、納税者には現実には損得がないことになる。

しかるに小企業とくに控訴人の如き金融業者の場合は、単に貸付のときに交付を受ける借用書のみを所持していても、弁済期に弁済を受けなければ一応貸倒として取り扱い、その後に入金があればその年度の所得としているのであつて、いまだ現実に所得となつていないのみならず、弁済期に取立てえないものに対して之を所得として納税することは事実上不可能である。

しかして、本件の裁決は昭和三九年一月二九日であつたこと、本件貸付は控訴人が昭和三五、三六、三七年度に行つたものであり、貸付日から現在まで既に一〇年以上も経過し、商事の五年の時効によつて既に消滅しているし、現実にいまだこの元利金の返済が受けられていないことが明らかな本件においては、之を貸倒と認定することが社会正義に合すべきものである。

控訴人の貸倒債権と称するものは別紙甲(貸倒一覧表)のとおりである。

(被控訴人の付加陳述)

控訴人の主張する不服の理由は、要するに、

(一)  原審がその所得の認定に際し、証拠として採用した乙第一号証の二(明細書)は、その作成や経緯や書証(甲号証)との不突合の状態からみて、明細書の作成者深町の創作で、その信憑性に疑義があり、原審の認定は事実誤認である。

(二)  原審が判示した貸倒れの認定基準とその帰属の時期についての旧所得税法の解釈は、社会正義に反する。

というに帰する。

しかしながら、左記のとおり、原審の認定と判断は正当で、控訴人の主張は失当である。

一、本件明細書の信憑性

1. 本件明細書作成までの経緯等について。

控訴人と本件明細書の作成者である深町との交誼関係は、控訴人の証言でも明らかなように、本件明細書の作成時までは一面識もなく、昭和三五年分、昭和三六年分および昭和三七年分の所得税の決定処分に対する異議申立書を提出する際に同申立書に添付する資料作成の必要性にせまられたため、控訴人は、税務課税資料となることを十分承知のうえで、本件明細書の作成を深町に依頼し、深町は、職業会計人としての良職に従い、控訴人から与えられた資料により、誠実に本件明細書を作成したのである。

すなわち深町は、明細書の作成にあたつて借用証書数十枚(控訴人の主張する甲号証)、貸付に関する小冊子数冊をもととして、四、五日も費してこれを作成し、さらにその後控訴人から別に交付を受けたノートによりその記載内容を検討したものであつて、借用証書をも充分に参考としたことについては同人に対する聴取書(乙第一号証の五)の問七に対する答に照らしても明らかである。しかも、同人は会計コンサルタント(当時の資格は公認会計士補)としての職業会計人であり、本件明細書は、ほとんど数字を主体とした文書であつて、同人が作成時において控訴人から創作の要請を受けたか、もしくは要請がなくとも積極的に創作しなければならなかつた必然性があつたのであればともかく、かかる事情も認められないのであるから、これが創作されたものでないことは明らかである。

2、本件明細書作成材料についての控訴人主張の矛盾点について。

控訴人は、当時本件明細書を作成するもととなる資料は全くなかつたし、右のノートと称するものは、横浜支所が所持していた控訴人と横浜信用金庫末吉町支店間の当座取引勘定元帳を控訴人の審査請求代理人川崎が写してきて、これを参考として、深町がこれに勝手にいいかげんな数字及び借主名を書き込んだもので、これをもととして本件明細書を作成し、控訴人に捺印せしめ、これを被控訴人に提出したものであると反論する。

しかしながら、右ノートに数字及び借主名を記入した者は、横浜支所に対し審査請求書を提出した当時の控訴人の代理人である川崎であることを同人自ら証言しており、控訴人が主張しているように深町が記入したものでないことが明らかになつた。

さらに、控訴人の主張に理由がないことを裏付けるものとして、本件明細書作成の時期と、川崎が元帳を写した時期との間に明らかな矛盾があることが指摘できる。すなわち、川崎が元帳を写した日は、控訴人が横浜支所に審査請求書を提出した昭和三九年一〇月八日以降である筈であるが、控訴人が明細書を被控訴人に提出した日は、同年四月一三日である。したがつて、元帳は本件明細書作成の資料となつていない。また、川崎は審査請求段階で初めて控訴人の代理人として税務当局と接触をもつたものであるから、審査段階前に写すことはありえない。

以上のとおり、控訴人の主張は矛盾していることは明白であり、控訴人の主張は失当である。

3、本件明細書の内容の正確性について。

控訴人は、本件明細書は仮空の数字をならべ、仮空の借主を書込んだものであるから、明細書記載の所得はなかつたと主張する。

しかしながら、深町が作成した本件明細書は、原審で判示するごとく、控訴人が貸付関係を認めるものが多数存在するうえ、深町の証言及び控訴人の供述によれば、当座預金元帳の写(通常、銀行取引があれば、いつでも簡単に入手できる。)、公正証書、手形、借用書をもとにして作成したものであり、深町の恣意が入る余地のないことを考え合せれば、その記載内容に仮空の数字が書込まれたとする控訴人の主張は論拠を有しない主張というべきである。また深町はそれまで控訴人とは一面識もなかつたのであるから、資料なくして作成する余地はなかつた。また、控訴人は、本件明細書に仮空の借主を深町が書込んだとも主張するが、本来、収入の有無を判断するためには、記載された数字が真実であれば足りるのであつて、借主名はその数字の信憑性を裏付ける資料となるに過ぎないのである。

つまり、収入を得た先(借主名)が特定されなくとも、他の確実な根拠によつて、収入された数額が判明すれば、それのみで当然、収入といえるのであり、たとえば、小売商のように大衆を相手として、不特定多数の取引先を有する場合、相手先不明、もしくは略号、記号のままでも、銀行預金の動きなどにより、収入の認定は可能なのである。

本件明細書の数額は、十分な資料に基づいて記載されたものであるから、氏名の特定されない数額があるからといつて、その数額まで否定されるものではない。

4、個別貸付先に対する反論

(一) 東洋鉄工について。

控訴人は、本件明細書のNo.2の表とNo.16との不一致を指摘するが、No.2はNo.16のみを資料としたものでなく、かかる一部が一致しないからといって本件明細書の総ての証拠価値が失なわれるものでないことは当然である。また、甲第三号証の一、二と本件明細書を対比し、それを根拠として本件明細書は深町の創作であるとも主張するが、原判決でも明らかなように、甲第三号証の一、二は、控訴人の東洋鉄工に対する従来の小口の貸付債権をまとめて、昭和三六年八月一七日に一五〇万円と一〇〇万円の二口を貸付けたことにして、その旨の公証を得るために昭和三七年一月一四日に作成された公正証書であるから(原判決四三丁表参照)、これをもつて本件明細書が創作であるとの根拠たり得ないことは明白である。

控訴人は、松葉証言を引用して、昭和三五年一月一日現在当該会社に二五〇万円の債権を有していなかつたと主張するが、松葉証人の記憶はあいまいで、その証言内容は常に矛盾しているのであり、到底措信し難いものである。

また貸付金の貸付と返済が同日になされているのは社会経験上有り得ないとしているが、同様の手法は、「手形の書換え」の手法と相まつて、貸金業者としては常識的な手法であり、深町は、むしろ、与えられた資料に忠実に明細書を作成したというべきである。

(二) 金子馨について。

控訴人は、本件明細書のNo.13に甲第三号証の四(公正証書)の金額(一五万円)の記載がないから、本件明細書のNo.13の他の記載額が信用し難いと主張するが、深町は、控訴人が提供した資料の範囲内で誠実に明細書を作成したのであるから、控訴人が当時、この公正証書を秘匿すれば、記載されていないのは当然であつて、本件明細書に記載された金額以上に貸付金があるという立証ならばともかく、甲第三号証の四は、何ら本件明細書の記述を否定する証拠とはならない。

(三)  安藤茂男(成男)について。

控訴人は、同人を見たこともなく、明細書のNo.12には取引相手の特定されない記載があると主張しているが、既述のように、取引先の不特定は、所得の認定に直接的な影響を与えるものではない。

(四)  興亜建築(田中伝次)について。

控訴人は、本件明細書のNo.13の当該人にかかる昭和三六年七月一四日の貸付金が五万円であり、乙第三四号証(同月日付の当該人の金銭連帯借用証書)の金額一五万円と相違するから、本件明細書には不実の記載があると主張するが、深町は当座預金元帳(明細書のNo.18)から貸付けられた五万円のみを転記したのであつて、差額一〇万円は控訴人によつて隠蔽されていたものと見るべきである。

なお、昭和三六年七月一四日に五万円の貸付けがあつた事実、及び当該人と数回の取引があつた事実は、いずれも控訴人がすでに認めたものである。

(五)  西川ペイント(西川貞雄)について。

控訴人は、横浜地方裁判所に係属中の貸金請求事件の請求額と、本件明細書と、原判決添付別紙三の一八の借入金との三者を比較すると、その金額が、本来一致すべきであるのに相当な差異があるから、本件明細書は信用できないと主張している。

しかしながら、右貸金請求事件の提訴は、昭和四一年五月であり、本件明細書が作成されたのは昭和三九年四月であつて、この間には、小口貸付金のとりまとめ、手形の書換、証書の書換などによつて貸付金額が移動するのは当然であり、このように時点に差異のあるものを比較している控訴人の主張は失当というべきである

また、本件明細書は、前記当座預金元帳の記載のみを集計して作成したものではなく、右のほか、公正証書、手形借用書が加味されて作成されたことは本件明細書二八丁注書の「◎印は・・・・・」以下で明らかであるから、突合しないのは当然である。

また、控訴人は、昭和三六年分の本件明細書の貸付金額合計一三三万四千円と原判決理由の別表三の一八の合計一五五万四千円(一四九万四千円が正当額であり控訴人の計算誤りと思われる)の差額二二万(一六万円が正当額となる)、および、昭和三七年分の本件明細の貸付金額三〇五万二千円(控訴人の引用部分は同明細書No.3と思われるが、そのNo.3の昭和三七年分貸付金の合計額は三〇四万七千円が計算上正当であるところ、これの計算を誤って三〇五万二千円と記載している)と、前記判決の合計三六一万九千円の差額五六万七千円(五七万二千円が計算上の正当額となる)は、その増加した根拠が不明であると主張するが、昭和三六年分の正当な差額一六万円に相当する貸付金は乙第二八号証、および証人西川貞雄の証言を採用されたことは明らかであり(原判決理由の別表三の一八の三六年四月一二日の五万円、同年五月二五日の一〇万円のうち一万円、同年六月二六日の一〇万円がこれに該当、採用された証拠は同別表三の一八証拠関係欄)、昭和三七年分の控訴人主張にかかる差額五七万二千円については、本件明細書の二二丁昭和三七年一一月一五日の八万七千円(原判決理由の別表三の一八の昭和三七年一一月一五日の八万七千円に該当)、同一一月一六日の七万円と五万円の合計額(同一一月一六日の一二万円に該当)、同一一月一七日の二〇万円(同一一月一七日の二〇万円に該当)、同一二月二五日の一五万円(同一二月二五日の一五万円に該当)、同一二月二六日の一万五千円(同一二月二六日の一万五千円に該当)と証人西川貞雄の証言(昭和三七年一一月一五日の八万七千円を除く。)を採用されていることも明らかである(原判決理由の別表三の一八証拠関係欄)。

なお、昭和三八年頃から、西川ペイントには、控訴人の義弟川崎が入り、同社を実質的に経営していたのであり(西川証言参照)、控訴人が意のままに同社の経営ならびに経理を操作出来得る状態にあつたことを付言する。

二、控訴人は、原判決が理由の第二の1において、利息収入のうち大石善男ほか一一口については、当事者間に争いがないと判断したことを批難している。しかしながら、

1、別表乙記載のとおり、控訴人主張事実のうち、番号12、17(三六年分)、38については原審における準備手続終結の段階において、すでに被控訴人の主張額を控訴人においても認めていたのであり、また、その余の部分については、被控訴人の主張額控訴人の主張額の範囲内であるから、原判決が、被控訴人の主張額につき、当事者間で争いがないと判示したのは当然のことであり、なんらの違法はない。

また、被控訴人は、控訴人の自白の撤回に異議があり、かつ、右自白が、事実に反し、錯誤に基づくものであることを争う。

2、かりにそうでないとしても、控訴人が自白を撤回することは、準備手続による調書に反し、かつ、訴訟の完結を遅延せしめるものであり、民訴法一三九条一項、二五五条により許されない。

すなわち、本件は原審において、準備手続を経たものであり、準備手続の結果を要約した調書には、右収入金額につき、控訴人が前記判示のとおり主張していることは、明らかである。控訴人は、民訴法二五五条により、これと異る主張をすることは許されない。かつ、当審における右自白の取消しが許されるとするならば、本件訴訟の完結が著しく遅延することは必定であり、しかも、本件は昭和三五年ないし同三七年分の所得税をめぐる争いであるから、既に一二年ないし一四年経過しているものであり、被控訴人において右自白にかかる収入金額については、現段階においてもはや攻撃防禦の方法を全く奪われているものである。

三、貸倒れの認定の基準と帰属の時期

1、貸倒損失の帰属の時期

控訴人は、貸付元金の貸倒れの認定の時期について、貸付金の弁済がなければ一応貸倒れとして損金計画を行い、その後、入金があつたときに再度、収入として計上すべきであると主張するが、右の主張は、所得税法が示す「必要経費」の正当な解釈から離れた独自の見解にすぎない。

ある年分において、所得税法が「貸倒損失」として「必要経費」への算入を認めるのは、原判決が示すごとく、その年中において債権回収の見込みがないことが確実となつた場合に限られると解すべきことは、すでに判決例でも一致するところである。

2、利息債権の計上時期

原判決は、金銭消費貸借上の利息債権について、「その履行期が到来すれば、現実に未収の状態であつても、旧所得税法にいう『収入すべき金額』にあたる」と判示しているが、控訴人は「現実に収入となつたもの」だけがその年分の収入であると主張している。

しかしながら、「収入すべき金額」とは、「収入すべき権利の確定した金額」のことをいうのであつて、その「権利を法律上行使できるようになつたとき」であると判断すべきである。

本件未収利息は、未収の状態ではあつても、すでに控訴人の「法律上権利として行使し得る状態」になつていたのであるから原判決が示した解釈は正当というべきである。

理由

一、当裁判所は、当審におけるあらたな証拠を参酌しても、なお原審と同じく、原審において認容された範囲を超える控訴人の本訴請求は失当であると判断するものであつて、その理由の詳細は、左記に付加するほかは、すべて原判決の理由説示と同一である。

(1)  控訴人の自白とその撤回の効力について。

本件記録によれば、控訴人の付加陳述第二項の利息収入につき原審において自白したことが明らかであるところ、控訴人は当審において右自白を撤回する旨主張するが、右自白が真実に反し、かつ錯誤によつたことを認めるに足りる証拠はないから、自白の撤回は効力がないものというべきである。

(2)  乙第一号証の二(明細書)の信憑力について。

控訴人は、乙第一号証の二は深町の創作にかかるものであつて、なんら信憑力がないと主張するが、原審証人得丸大典の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証の四、五、当番における証人深町輝明の証言に弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は昭和三五年分、昭和三六年および昭和三七年分の所得税の決定処分に対する異議申立書を提出する際に、これに添付する資料の作成を会計コンサルタント深町(公認会計士補の有資格者)に依頼し、深町は控訴人から渡された手持資料に基づき乙第一号証の二(明細書)を作成し、控訴人はそれが課税資料となることを承知のうえで、これに捺印して被控訴人に提出したことが認められるのであつて、後日にいたり控訴人自身が右明細書は深町の創作にかかるもので全く信憑力がないと抗争するがごときは控訴人の甚だ身勝手な主張であつて、かかる主張はとうてい採用しがたいものというべきである。

(3)  貸倒損失の帰属時期と当該年中における貸倒の認定について。

旧所得税法施行当時において、貸倒にかかる債権が事業所得を構成するときは、当該年中において債権回収の見込がないことが確実になつた場合にかぎり、当該貸倒発生年度の事業所得の計算上必要経費に算入することが許されるところ、本件において、関係債務者に対する債権が当該年中には貸倒と認めうる状態にいたつていないとした原審の貸倒の認定(原審が当該年中の貸倒を認めた分を除く。)は相当であつて、右と異なる独自の見解を前提とし、貸倒の認定を争う控訴人の主張は、すべて採用できない。

二、とすると、控訴人の本訴請求中、原審が一部認容すべきものとした部分を除くその余の請求を棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 瀬戸正二 判事 小堀勇 判事 青山達)

別紙甲(貸倒一覧表)

〈省略〉

昭和三五年度分合計五人 金七拾万五千四百円也

〈省略〉

昭和三六年度分合計九人 金参百五拾八万弐千四百円也

〈省略〉

昭和三七年度分合計六人 金壱百五拾六万円也

別紙乙

〈省略〉

(注) 1. ○は認めたことを、×は否認したことを示す。なお、空欄は認否等がないもの。

2. (主)は第一次的主張。 (予)は第二次的主張。

3. 要約書における控訴人の認否書は43年8月20日付準備書面を引用されている。

4. 被控訴人の主張額は昭和47年11月18日付準備書面(第11)のとおり減額更正をしたことに伴ない、控訴人の主張額(認否額)を下回ることとなつた。

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